📚ハドリアヌス帝の回想7ー 勇気とは

第一回目のダキア遠征における数々の武勲により、軍隊で栄光を勝ち得たハドリアヌスですが、そのときすでに彼は勇気の諸相について内省していました。

Celui qu'il me plairait de posséder toujours serait glacé, indifférent, pur de toute excitation physique, impassible comme l'équanimité d'un dieu. Je ne me flatte pas d'y avoir jamais atteint. La contrefaçon dont je me suis servi plus tard n'était, dans mes mauvais jour, qu'insouciance cynique envers la vie, dans les bons, que sentiment du devoir, auquel je m'accrochais.

わたしがつねにもちたいと願う勇気は、自分をつき放すことのできる冷ややかな勇気、あらゆる肉体的興奮をまじえぬ、神の平静さのごとき無感動の勇気である。そのような境地に一度でも達しえたとはうぬぼれていない。後年わたしの役にたった偽物の勇気は、逆境にあっては人生に対するシニカルな無頓着にすぎず、順境にあってはわたしがしがみついている義務の感情にすぎなかった。

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 ハドリアヌスは、人の気に入られたい、注目をひきたいという卑しい欲望があったということに気づいたとして今日これを恥じ、英雄的愚行の時期と振り返ります。しかしどれだけ大人になっても、平和な今の世の中においても、ものごとを客観的に見つめ、そのときどきに応じた勇気を見極め実行するのは難しいことに違いありません。