📚ハドリアヌス帝の回想13ー 旅する皇帝

ハドリアヌス帝以前は、ローマ帝国の皇帝が帝国内を移動する機会は限られており、ネロのギリシア旅行が例外的にあったとしても、軍事上の必要性がある場合以外に皇帝がローマを離れることはあまりなかったようです。しかしハドリアヌス帝はこの慣習を打破し長い視察旅行を重ねました。視察の動機・目的には、皇帝としての任務をよりよく全うするということがあったのは当然ながら、探究心・好奇心あふれる皇帝の個性も影響していたと考えられます。皇帝がみずから各地に姿を現すことによってその存在感が増し、帝国の一体化が強化されるとともに皇帝礼拝が高まる効果が生まれることとなりました。

かつてパルティア戦役のさい、必要上からアンティオキアを仮の座所としたように、こんどはロンディニウムがわたしの選択によって一冬じゅう世界の実質的中心となった。このように旅をするごとに権力の重心が移動し、しばしのあいだそれがライン河畔にあったり、テームズ河岸にあったりしたので、そのような仮の都の強みも弱みも私は知り尽くすことができた。
Pendant tout un hiver, Londinium devint par mon choix ce centre efectif du onde qu'Antioche avait été par suite des nécessités de la guerre parthe. Chaque voyage déplaçait ainsi le centre de gravité du pouvoir, le mettait pour un temps au bord du Rhin ou sur la berge de la Tamise, me permettait d'évaluer ce qu'eussent été le fort e le faible d'un pareil siège impérial.

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 日本を含め多くの国で、国内の地域格差が問題になっていると聞くことがあります。もしも一国のリーダーが、ハドリアヌス帝のように国内を自由に動きまわって一定の期間その各地に滞在し何かしらの業績を残したら、この問題は少しは解消されるのでしょうか。