📚ハドリアヌス帝の回想19ー パンテオン

ローマのパンテオンを現在残るかたちに再建したのはハドリアヌス帝です。紀元後120年前後10年ほどの間にかけてのこと、皇帝は治世の業績を重ね、《国父》の尊称にも値するようになった充実した時期でした。

しだいしだいに、あらゆる神々はひとつの《全体》のうちに神秘的な融合を遂げ、同じひとつの力の無限に多様な発現、いずれも等しい現れであり、神々のあいだの矛盾は調和の一様態にすぎない、と思われてきた。そして万神を祭る神殿ーパンテオンーを、ぜひとも建立したいと願うようになった。

De plus en plus, toutes les déités m'apparaissaient mystérieusement fondues en un Tout, émanations infiniment variées, manifestations égales d'une même force: leurs contradictions n'étaient qu'un mode de leur accord. La construction d'un temple à Tous les Dieux, d'un Panthéon, s'était imposée à moi. 

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 最初のパンテオンは、アウグストゥスの腹心であり女婿となったアグリッパによって紀元前27~25年に建てられましたが、紀元後80年および110年の火災によって消失していました。
 ハドリアヌス帝には、ローマ帝国初期、アウグストゥスが平和をもたらした治世にあやかろうという気持ちがあったのでしょうか。アグリッパによるオリジナルの献辞が今も正面に刻まれています。

«Marcus Agrippa, Lucii filius, consul tertium fecit» 
(ルキウスの息子マルクス・アグリッパ、3度めのコンスルにおいて建立)

 設計についてはハドリアヌス帝みずから関与しました。

ギリシア芸術を、付加的な贅沢にすぎぬただの装飾として利用しながら、建物の構造そのものに関しては神話的原始ローマ時代にまで、古代エトルリアの円型の神殿にまで、さかのぼってみたのである。この《万神殿》が地球の形と、星々の天空との形を再現することを望んだのだ。すなわち、永遠の火種を宿す地球と、すべてを含む虚ろな天とを。

Utilisant les arts de la Grèce comme une simple ornementation, un luxe ajouté, j'étais remonté pour la structure même de l'édifice aux temples ronds de l'Étrurie antique. J'avais voulu que ce sanctuaire de Tous les Dieux reproduisÎt la forme du globe terrestre et de la sphère stellaire, du globe où se renferment les semences du feu éternel, de la sphère creuse qui contient tout.

原書(訳) 同上

時についても空間についても奥深く広大な思想をもった皇帝ならではの、斬新な傑作であるということをあらためて感じます。

ハドリアヌス帝の回想

ハドリアヌス帝の回想

 
Memoires d'Hadrien/Carnets de notes de memoires d'Hadrien

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📚ハドリアヌス帝の回想18ー 美しいこの世

愛する美少年とともに過ごし幸せの絶頂期にあった皇帝。

わたしはといえば、あらゆる悪にもかかわらず美しいものに見え、思考や接触観照においてすら最後の可能性まではなかなかくみ尽くせぬこの世を、人が進んで捨て去るということが理解しがたかった。

Pour moi, je comprenais mal qu'on quittât volontairement un monde qui me paraissait beau, qu'on n'épuisât pas jusqu'au bout, en dépit de tous les maux, la dernière possibilité de pensée, de contact, et même de regard. 

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 こう述べたあとに「そのころからみればいまのわたしはずいぶん変わったものである」と続けるハドリアヌス帝の言葉に、この世の幸せの儚さが感じられます。

 

📚ハドリアヌス帝の回想17ー 遠い幸福

人生の幸福な時期についてのハドリアヌス帝の回想。

静謐の季節、わが生涯の夏至…遠い幸福の日々を美化するどころか、わたしはその映像を色褪せたものにしてしまいたい気持ちと戦わなければならない。というのは、いまではその思い出すらもわたしには強烈すぎるからだ。
Saisons alcyoniennes, solstice de mes jours... Loin de surfaire mon bonheur à distance, je dois lutter pour n'en pas affadir l'image; son souvenir même est maintenant trop fort pour moi.

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 自分もいつかこう思うようになる日がくるのだろうか。

 

📚ハドリアヌス帝の回想16ー 黄金時代

ニコメディアで出会ったギリシア人の美青年アンティノウスに皇帝は心を奪われました。文学的な集いの夕べで出会ってから、まもなく親しい仲となり、その後あらゆる旅行を共にすることとなります。ハドリアヌス帝はアンティノウスに心酔し、満ち足りた情熱のうちに幸福で輝く数年間を送りました。後にはこの頃を回顧して、黄金時代を見出す心地だと吐露します。

平凡な始まり方をしたこの情事はわたしの人生を豊かにし、また単純にもした ー つまり未来があまり問題ではなくなったので、わたしは神託に伺いを立てるのをやめ、星辰ももはや天蓋のすばらしい絵図以上のものではなくなった。水平線上の島々の青白い曙光や、水の精に捧げられ、渡り鳥の出入りする洞窟の涼しさや、黄昏どきの鶉の重たげな飛び方などを、わたしはいまだかつてこれほどのよろこびをもって心に留めたことはなかった。さまざまな詩人を読み返してみたが、あるものは前よりもすぐれて見え、大部分は前よりも劣って見えた。そして自分でもいつもよりはややましと思われる詩を書いた。

Cette aventure banalement commencée enrichissait, mais aussi simplifiait ma vie; l'avenir comptait peu; je cessai de poser des questions aux oracles,; les étoiles ne furent plus que d'admirables dessins sur la voûte du ciel.  Je n'avais jamais remarqué avec autant de délices la pâleur de l'aube sur l'horizon des îles, la fraîcheur des grottes consacrées aux Nymphes et hantées d'oiseaux de passage, le vol lourd des cailles au crépuscule. Je relus des poètes: quelques-uns me parurent meilleurs qu'autrefois, la plupart, pires. J'écrivis des vers qui semblaient moins insuffisants que d'habitude.

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 あくまでも物語のなかで書かれていることですが、ローマ皇帝たる人物でも、こんな少女のような純真な気持ちになることがあったのかもしれない、と思うと、とても人間味を感じて思わず引き込まれていきます。またフランス語、日本語とも、皇帝の至福感を表現する一つ一つの言葉と文章がとても美しいので、それにつられて引用が長くなりました。この出会いの頃を叙述する部分は引用部分の前後とも幸せに満ちていて読んでいてうっとりする気分でした。

📚ハドリアヌス帝の回想15ー エレウシスの秘儀

ハドリアヌス帝はたびたび伝統的宗教に接し、その理論・哲学にはかなりの興味を抱いていたと思われます。パルティアにオスロエス一世を訪問した際は、インド人のバラモンが生きながら身を焼きほろぼす儀式に立会い、神または神なるものに思考を重ねつつ、やがてギリシアのエレウシスで入信の秘儀を受けました。そのときの霊的衝撃を語っています。

不協和音が協和音に解決してゆくのをわたしは聞いたのだった。一瞬、別世界に立って、遠くからしかしまたごく近くから、わたしが参加している神的な人類の行列をながめ、まだ苦悩はあるが誤りのなくなったこの世界をながめたのだった。人間の運命という、どんなに世間知らずな目から見ても過誤に満ちたこの曖昧な設計図が、天上の構図のようにきらめいていたのである。
J'avais entendu les dissonances se résoudre en accord; j'avais pour un instant pris appui de tout près, cette procession humaine et divine où j'avais ma place, ce monde où la douleur existeencore, mais non plus l'erreur. Le sort humain, ce vague tracé dans lequel l'oeil le moins exercé reconnaît tant de fautes, scintillant comme les dessins du ciel.

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 エレウシスの秘儀は、古代ギリシアのエレウシスに始まり、紀元前15世紀のミュケナイ期から古代ローマの時代まで伝わったもので、その基盤は豊穣神デーメーテール、農業崇拝にあるようです。ただし秘儀の内容は口外してはならないものとのことで、古代ギリシアに作られた『ホメーロス風讃歌』(作者不詳)の「デーメーテール讃歌」などが基本的な参考情報となっています。 

 

ハドリアヌス帝の回想

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Memoires d'Hadrien/Carnets de notes de memoires d'Hadrien

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📚ハドリアヌス帝の回想14ー 星空

ハドリアヌス帝の祖父マルリヌスは星占いを信じており、誕生時の星位から自分の孫が世界を支配するであろうと予言していました。その影響もあってのことかハドリアヌス帝は生涯、星に対する強い興味を持ち続けました。

一生に一度だけ、わたしはもっとも特筆すべきことをした。というのはまる一晩を星座に捧げたのだ。それはオスロエスとの会見の後、シリアの砂漠を横断しているときのことだった。何時間かのあいだ、人間くさい雑事を放念して、わたしはあおむけに横たわり、目をみひらいて、夕べから曙までこの炎と水晶の世界にわが身をゆだねたのだ。それはわたしのかずかずの旅のなかでもっとも美しい一夜であった。

Une fois dans ma vie, j'ai fait plus: j'ai offert aux constellations le sacrifice d'une nuit tout entière. Ce fut après ma visite à Osroès, durant a traversée du désert syrien. Couché sur le dos, les yeux bien ouvertes, abandonnant pour quelques heures tout souci humain, je me suis livré du soir à l'aube à ce monde de flamme et de cristal.

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 ところでときどきふと思うのですが、古典において西欧ではよく星のことが文学ほかいろいろなところに言及されるのですが、日本ではあまり星のことは聞かれず、もっぱら月について詠われていることが多いように思います。自分の教養不足のためでしょうか。いつか調べてみたいと思っています。

 

📚ハドリアヌス帝の回想13ー 旅する皇帝

ハドリアヌス帝以前は、ローマ帝国の皇帝が帝国内を移動する機会は限られており、ネロのギリシア旅行が例外的にあったとしても、軍事上の必要性がある場合以外に皇帝がローマを離れることはあまりなかったようです。しかしハドリアヌス帝はこの慣習を打破し長い視察旅行を重ねました。視察の動機・目的には、皇帝としての任務をよりよく全うするということがあったのは当然ながら、探究心・好奇心あふれる皇帝の個性も影響していたと考えられます。皇帝がみずから各地に姿を現すことによってその存在感が増し、帝国の一体化が強化されるとともに皇帝礼拝が高まる効果が生まれることとなりました。

かつてパルティア戦役のさい、必要上からアンティオキアを仮の座所としたように、こんどはロンディニウムがわたしの選択によって一冬じゅう世界の実質的中心となった。このように旅をするごとに権力の重心が移動し、しばしのあいだそれがライン河畔にあったり、テームズ河岸にあったりしたので、そのような仮の都の強みも弱みも私は知り尽くすことができた。
Pendant tout un hiver, Londinium devint par mon choix ce centre efectif du onde qu'Antioche avait été par suite des nécessités de la guerre parthe. Chaque voyage déplaçait ainsi le centre de gravité du pouvoir, le mettait pour un temps au bord du Rhin ou sur la berge de la Tamise, me permettait d'évaluer ce qu'eussent été le fort e le faible d'un pareil siège impérial.

Marguerite Yourcenar, Mémoires d’Hadrien(『ハドリアヌス帝の回想』 多田智満子訳) 

 日本を含め多くの国で、国内の地域格差が問題になっていると聞くことがあります。もしも一国のリーダーが、ハドリアヌス帝のように国内を自由に動きまわって一定の期間その各地に滞在し何かしらの業績を残したら、この問題は少しは解消されるのでしょうか。